My Reflection on 2011

2011年を振り返って

2011年は言葉では言い表せないほど色々な想いが詰まった年でもあり、私たちにとってずっと忘れられない年になるのではないでしょうか。

3月11日、歴史上未曾有の複合災害に見舞われた日本。遥か海を越えたアメリカという国でテレビニュースを通して目撃した祖国の惨事に、ただただ、言葉を失い、呆然とするだけでした。

「離れていても何か出来ることはないか。」という想いが、海外に住む邦人ならず、海外の市民らにも沸き上がり、皆、行動に移していきました。震災救援の募金活動など通して、傷ついた日本を応援しようと、国、年齢、人種を超えて大勢の人たちがいたる所で立ち上がり、結束していた姿が忘れられません。

「すぐ東北へ飛んで行って援助の手を差し伸べることは出来ないけど、今いる場所でやれることがある。」 私もそう信じて、同じ気持ちを持つココロ・ゴスペル・クワイアの仲間と数々のチャリティーコンサートに出演し、音楽を通して犠牲になられた方の魂、被災者の皆さんへ祈りを捧げ、1日も早い東北の復興を共に祈りました。

大震災が起きる前の今年の1月から、私は「ジャパン・コーラル・ハーモニー」という混声合唱団にも入り、カーネギー・ホールで5月に行われる「日米合同合唱祭」への練習を始め、仙台の合唱団「萩」と、そのステージを共にする日を楽しみにしていました。 その後、誰もが予測しなかった3月11日の大震災が彼らの住む東北を襲いました。

「萩」のメンバーと連絡が取れない不安な日々が続き、予定していたコンサートの中止も一時危ぶまれましたが、「萩」団員の全員の無事が確認でき、震災直後の大変困難な時期にもかかわらず、彼らが勇気を振り絞って来米を決意され、ニューヨークで彼らと対面できた時は本当に嬉しかったです。ニューヨークで「萩」の皆さんと「青葉城恋唄」、「斎太郎節」を一緒に歌えたあの感動の
一夜は一生忘れられません。加勢(加声)させていただくはずの私たちが、かえって仙台の皆さんから大変な勇気をいただき、元気づけられました。


カーネギーホールで共に歌った仙台の合唱団「萩」

私の職場のジャパン・ソサエティーも、震災の翌日から「震災救援基金」を立ち上げ、支援金を募り、坂本龍一らも出演する大規模な震災チャリティー・コンサートを実施しました。私が属する教育部にも現地校の生徒、教職員らから多くの支援金と励ましのメッセージが寄せられました。

私たちも、海外の子供たちが被災地の子供たちへ励ましのメッセージが送れるよう、公開サイトも立ち上げました。ぜひ、下のサイトをご覧ください。
Kids4Japan
のアドレス:  http://www.facebook.com/Kids4Japan

今年の7月は例年通り、米国の教員グループを引率して日本に行きました。引率の合間を縫って、二度東北を訪れ、被災地の仙台、名取市閖上(ゆりあげ)、気仙沼、南三陸町、石巻を訪れました。 自分が現地で目にしたことは今でも言葉では言い表せません。

ただ、被災地でお目にかかれた住民、学校教員、生徒ら (家族や家を失った人たちも含め) 皆
さんが見せてくれた「笑顔」と、彼らの「復興への希望」、その前向きな姿勢が一番、心に突き刺さったのを覚えています。たとえ、その「笑顔」の奥に深い計り知れない悲しみが隠されていたとしても、それを超える何か「強いパワー」を彼らの中に感じました。


2011年7月、宮城県気仙沼で。 瓦礫の下から生命の息吹が。

7月に仙台で行われた「東北六魂祭」は当時、他府県で漂っていた「お祭り自粛ムード」に一石を投じた形になったと思います。復興は「心の中」からスタートするということを、現地の人たちから教わりました。


仙台の七夕祭                  秋田のねぶた祭

あの「震災」は私たち全員に起きた震災。被災者は「お気の毒な他人」ではありません。ニュースで見た被災者は実は自分自身の姿。「他人への単なる同情や憐憫」ではなく、共鳴感を持ち、
自分自身の事としてとらえた人も多くいたのではないでしょうか。そして、今までにない行動を取った人も(もしくは、あえて取らなかった人も)いたのではないでしょうか。それがどんな形であっても。

復興と共に、来年は数々の「赦し」と「愛」というプロセスを通じて、地球は平和な世の中を目指し、一気に飛躍する時代に突入することでしょう。

源 和子
New York City, USA
2011年12月17日


X’mas photos by Yuki Hoshi